背中は雄弁

秘密の作業をしている先輩方の後ろ姿を見て、背中からあふれ出る少年のような心(と少しの疲労感)が感じられて面白い。

 

まちなかで、就活スーツを身に纏った人を見るたび、自分もあの量産型就活生の一部であるのかという印象を持ってしまい、自分が他者と代替可能であるかのような感じがしてしまう。ドッペルゲンガーが忌避されるのも、代替不可能であるはずの「自分」そのものが代替可能である、という気味悪さに由来している部分もあるのではないかと、地下鉄の窓に映った顔を見ながら思った。