指針

ふと年末の一挙放送を録りためておいた「映像の世紀」(全11回)の最終3回分をまだ見ていなかったことを思い出し、ゆうべ3回分を続けて見る。生まれる時代と場所のいかんで自分もどうなっていたかわからないこと、ある事象が発生すると他の事象がそれに伴って生起し、経時的な変化の中で平衡状態に向かおうとしつつもそれが別の不均衡を生み出しうることなどを思いながら何ともいえない割り切れなさ、気味の悪さを感じた。

 

映像の世紀」とつい先日読んだ本に影響されて、フランクルの『夜と霧』を再読する。その一節に、「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ」という言葉があり、随意ならざることについては拘泥せず、(なかなか難しいことではあるが)ただ目の前の出来事に誠実に向き合い行動したいという思いを新たにした。前回読んだときもこの部分を読んだはずだが、今回とくに目にとまったのは、最近の怠け気味の自分に後ろめたさがあったからかもしれない。